新潟女児殺害の被告、死刑判決は回避…ネットは怒り爆発。無期の理由は?
【覚えておこう このニュース用語】永山基準
残虐な殺人の罪に問われた被告に「死刑」の判決が出ないと、ネットなどで”疑問の声”が爆発します。
なぜ、あんなひどいヤツが死刑にならないんだ!
それは裁判の世界に、
『永山基準』
というガイドラインが存在することと、大きな関係がありそうです。
「新潟小2女児殺害事件」の裁判
この事件で殺人などの罪に問われているのは、小林遼被告(25)。
「被害女児に車をぶつけ、車内に連れ込んでわいせつ行為をし、首を絞めて殺害し、遺体を線路に置いて列車にひかせた」と検察側は主張。死刑を求刑していました。
しかし、一審の判決は無期懲役。ネット上では
- 「どれだけ犯人に甘いんだ」
- 「俺が死刑にしてやる」
- 「裁判長は、自分の娘が同じことをされてもこの判決を出すのか」
などの声が目立ちます。
さらに、ときどき見受けられるのが
「永山基準にしばられるな」
みたいな意見です。
「前例重視」の司法の世界
お役所がよく
「前例がありませんから」
などと言って批判されますが、この”前例主義”、裁判=司法の世界ではかなり厳格。
これは、理解できないこともないと思うんです。
小学2年生の女の子をわいせつ目的で殺すのと、たとえば強盗目的で独り暮らしのお年寄りを殺すのと、どちらが「より残虐か?」というのは、誰にも決められない。
事件によって、「あっちは極刑、こっちは懲役×年」などとあまりにもバラバラな結果が出ては、法治国家としてどうか、ということになる。
だからある程度、前例に合わせるしかないんですね。
その「前例」となるのが、死刑の場合は『永山基準』なんです。
永山則夫事件と永山基準
1968年から69年にかけて、東京など全国各地で4人を射殺、1997年に死刑執行された永山則夫という男がいます。
彼の裁判が続けられる中で、1983年に最高裁判所が示した「死刑を適用するときのガイドライン」。それが、被告の名前から、一般に『永山基準』と呼ばれています。
簡単に言うと、「以下のような条件を考えても、『死刑やむなし』と思えば、死刑判決も仕方ない」ということ。
で、その条件というのが
「 犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性、ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等」
判決の文章なので硬いですが、「殺害された被害者の数」が重視されていることにご注意ください。
これをベースにした”相場”みたいなものが、なんとなく生まれていて
「殺害したのが1人なら死刑回避、2人だと微妙、3人以上で死刑」
というイメージになってしまっているんです。
永山基準が世に出てから、すでに35年以上。
犯罪者を生み出す社会も、犯罪のやり方も、大きく変わりました。
ネット民でなくても、「永山基準をそろそろ見直してはどうか」という声は、上がってしかるべきだと思います。
……と、ほぼ最後まで書いたところ、埼玉県熊谷市で6人を殺害したペルー人被告の、控訴審判決のニュースが入ってきました。
「統合失調症の影響で心神耗弱状態だった」として、一審の死刑判決を破棄。無期懲役を言い渡しました。
「死刑判決じゃないのは納得できない!」と怒る人が多いのは同じですが、これは永山基準とはまた別と考えるべき問題です。