「誰とも会わない日々」にいつまで耐えられる?【緊急事態宣言】
皆さま、お久しぶりでございます。
ブログの更新を、すっかりサボっておりました。
これでアクセス数が激減するのは当たり前として、当ブログの読者をやめるという方が続出するかと覚悟していたのですが、あにはからんや。新しく読者登録してくださった方も何人かいらして、本当に感謝です。ありがとうございます。
それなのに、ちっとも更新しないというわけにはまいりません。
ということで、今回のテーマは「なぜ記事を書かなかったか」。
個人的な事情の話ではなく、「人間の心」を考えます。
「閉じこもり」の日々 続く
半径だいたい100mくらい。
ここ2~3日の、ぼくの行動範囲です。
7都府県に緊急事態宣言が出された4月7日をもって、ぼくもとうとう「完全リモートワーク」となりました。
そもそもが会議などをちょくちょくする職場でもないし、インターネットにつながってさえいれば、どうとでもなると言える仕事。
なのでここ最近は、業務なんだかプライベートなんだか境界線のあいまいな時間を、とりあえずパソコンの前で過ごす毎日です。
ずっと自宅にいるおかげで家の周りの変化に目ざとくなり、きのうはご近所さんのベランダで、こんな光景を見つけました。
首都圏4都県は「外出もできるだけ控えて」というのが指針。
こっちだって新型コロナに感染したくないですからね。玄関のドアを開けるのは、宅配便が届いたときと、ゴミを出すときくらい。
あと、休校中の娘が「運動不足解消に」と、毎日近くの公園まで鉄棒をしに行くので、これに付き合うのがいちばんの"遠出"かな。
それでひしひしと感じるのが、ルーティンの重みです。
人にもよるんでしょうけど、「朝目覚まし時計で起きて、ヒゲを剃ったりしてちゃんと身支度して、電車に揺られて出勤する」みたいな日常はやはり、人間を人間たらしめる効果があるような気がします。
それがないと、やっぱりだらける。
なんだか調子が出ないんですね。
「他人と触れ合わずに過ごす日々」が長引くと…?
ブログを書く時間だってたくさんあるのに、何かこう、身が入らない。
仕事の合間などにどうにかひねり出した短い時間で集中してやるから、それなりにまとまった文章が書けていたんだなと実感しました。
仕事の中身やら、通勤中目にしたことやらから、そんなに題材を取っていたわけでもないんですけどね。それでも書けなくなっちゃったのは、やはり刺激がなくなったからなんでしょうか。
せめて区民体育館でも営業していてくれれば、⇩こんなネタが書けるのにね。
ヒトとかサルとかミツバチとかアリとか。
「社会」を営む動物は、ある程度「集団生活」を続けていないと、なんだかダメになってしまう……ということなんだと推測します。
家族のある人は、まだいいんです。気になるのは
独り暮らしの人や、親元を離れた学生さんたち。
出勤も登校もせず、外出もままならず、言葉を交わす相手はコンビニの店員さんだけ……なんて人も、それなりに多いのではないかと思われます。
今のような日々が続いたら、大きな影響が出てくるのではないでしょうか。
「人とつながっていたい」若者たち
ここで思い付くのは
今どきの若い世代はSNSで友達と強固につながっているから、人と実際に会わなくても平気なんじゃね?
という考え。
ぼくもそう思っていたんですが、ググってみたら、⇩こんな記事を見つけました。
このメディアでは1300人の"ビジネスパーソン"を対象に、「孤独度」についてのアンケートをしました。これでわかったのは
SNSの利用時間が長いほど、孤独を感じやすい
ということ。
1日のSNS利用が0時間で「孤独を感じる」と答えた人の割合は64%。
これに対し、1~2時間の人は87%だったというのです。
ここから導き出されるのは
SNSに熱中する➡人とつながれる
というベクトルではなく
人とつながりたい➡SNSに熱中する
という方向性。原因と結果が真逆なんですね。
それほど「人とつながる」ことを求める若者たちは、現在の緊急事態宣言の世を生き抜いていけるのか。
上の記事に登場する精神科医は、こう話していました。
人は社会とのつながりがなくなったときに生きる意味を失い、自殺しやすい。一方で、自分のことを気にかけてくれる人が1人でもいると、自殺する確率は一気に低くなるのです
緊急事態宣言で引き起こされる経済的なダメージについては、政府も都道府県も、いろいろと対策を練ろうとしていますよね(不十分ではあるけれど)。
これにプラスして、
人と触れ合わずに過ごす社会へのケア
も、もしかして考えておいたほうがいいんじゃないのかな。
なんか、そんな風に思えてきました。
どうでしょう?
最後までお付き合いをありがとうございました。
次回の『小骨チェーサー』も、ぜひ読みにいらしてください。