小骨チェーサー

世の中を斜めから、でも前向きな目線で見るブログ

「元次官の長男殺害」「新幹線3人殺傷」裁判……"一般市民"がせめてできること

2019年12月から翌年1月にかけて、裁判がらみの話題がトレンドワード入りするケースが目立ちました。

それは、ネット民が

 

「あんな判決出すなんて、日本の司法(裁判所)は腐ってる!」

 

みたいな内容をやたらツイートしたからでしょうね。


この手の連中が、感情に任せてトンデモないことをしでかさないように「法律」というものがあるわけで、そういう意味では法治国家としての機能は、まともに働いていると言えそうです。

 

とはいえ"市民感覚"から見れば、彼らの主張も納得できないわけではありません。

 

そこで今回は、こういう裁判・判決の際

 

「ネットに口汚い投稿をする以外で、一般市民にできること」

 

これを考えてみたいと思います。

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「元農水次官の長男殺害」裁判

「ひきこもり」状態のうえ、自分や妻に暴力を振るい、さらには近くの学校にまで危害を加える恐れのあった(とされる)長男を殺害。

その罪に問われた元農水事務次官・熊沢英昭被告(76)に言い渡されたのは、懲役6年の実刑判決。執行猶予は付きませんでした。


ぼくはあの判決は、妥当なものだったと感じています。詳しくはこちら。

 

kobone-chaser.hatenablog.com

kobone-chaser.hatenablog.com

 

しかし、ネット世論でよく見られるのは「なぜ執行猶予を付けないんだ」という声。

ひどいものだと「正当防衛だから無罪だ」などというのまであります。


こんな風潮の中で、ぼくが最近ふと思い出したのが、松本清張の『一年半待て』という短編。これまで何回もテレビドラマ化されたので、ご存知の方も多いでしょう。

【この短編集に収録されています】 

 

張込み 傑作短編集5 (新潮文庫)

張込み 傑作短編集5 (新潮文庫)

  • 作者:松本 清張
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1965/12/17
  • メディア: 文庫
 

 
以下、多少のネタバレがあります。

今後読もうと思っている方は***** ***** ***** まで読み飛ばしてください。


小説内で罪を犯すのは29歳の女性。夫の殺害です。

夫は失職中で、2人の子を含めた一家の生活は、被告が保険の外交をして支えていました。それをいいことに夫は飲み屋の女と浮気。家財を持ち出して飲み代に替え、妻子には暴力を振るう始末。

それがエスカレートしたある日、被告は夫を殺害、自首します。

警察に差し入れが届いたり、婦人雑誌がキャンペーンを張ったりと、世論は被告への同情一色。

高名な婦人評論家(この女性が主人公)が特別弁護人を買って出るなどしたおかげで、執行猶予付きの判決が出されます。

しかし、実はこの一部始終、罪に問われないようにと被告が綿密に考えた「一年半計画」(これがタイトルの由来)だった可能性が浮上。というのも……


という話ですが、ここで大事なお断りを1つ。

ぼくは元次官が、この小説の被告と同じく「冷静に執行猶予を計算して殺人を犯したのでは」というつもりは全くありません。そこは念のため強調しておきます。

 

言いたいのは、世論が小説同様被告に同情的なあまり、判決が結果として、罪に比べて軽くなり過ぎる恐れはないか、ということ。

動機に同情の余地はもちろんすごくあるけれど、殺人は殺人です。

 

***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** ***** *****

 

この点一貫して、熊沢被告に批判的な目を向けておられるのが、以前にもご紹介したはてなブロガーの”nanimositeinai”さん。

 

nanimositeinai.hatenablog.com

 

最近はずっと、この事件についての警鐘的な言及を続けてらっしゃいます。

彼女の一連の記事を読むと、一方的な同情には慎重になるべきだということがよくわかりますよ。


この一件は弁護側が控訴したので、高裁でも争われることになりました。

 

法治国家として正しい姿勢は何なのか

 

もう1度、みんなで考えるチャンスです。

 

新幹線3人殺傷

この事件は、本当に腹が立ちます。

小島一朗被告(24)は、「無期懲役」になりずっと刑務所に入っていることを計画。

 

「3人殺すと死刑になるので、2人までにしようと思った」

 

などとうそぶいているわけですから。


実際、検察側の求刑も無期懲役。判決も無期懲役。検察側・弁護側とも控訴せず、刑が確定しました。

 

目論見通りになった被告は法廷で万歳三唱したというから、

 

「なんでコイツの望みをかなえてやるんだ。死刑にしろよ」

 

と思うのも当然です。

ただし、以前も書いたのですが

 

kobone-chaser.hatenablog.com

 

裁判の量刑が、ある程度「前例」を下敷きにしなければならないのは仕方のないところ

 

でも……。


過去の判例など、一切気にしなくてもいい人たちが、裁判関係者の中にいるではありませんか。

そう。裁判員です。

 

裁判員制度」というのは元々、刑事裁判にも"市民感覚"を採り入れようというのが目的。

だから裁判員は、自分の思う通りの量刑を、臆することなくどんどん主張すればいいはずです。たとえ裁判官が何を言おうとも。


求刑より重い刑だってかまわない

実際、裁判員制度の導入後は、求刑を上回る判決が下される割合が増えています。


だから、あなたもぼくも、もし裁判員に選ばれることがあったら

何にも遠慮することなく、自分の"(市民)感覚"が導くまま、法廷に臨みましょう

 

次回の『小骨チェーサー』も、ぜひ読みにいらしてください。